御朱印めぐり(58) 弘明寺 [御朱印 神奈川]
<瑞応山 蓮華院 弘明寺>
=高野山真言宗=
神奈川県横浜市「南区弘明寺町字山下267
京浜急行 弘明寺駅徒歩
弘明寺 山門
弘明寺 本堂
弘明寺 鐘楼
弘明寺 坂東三十三観音御朱印
弘明寺 御朱印
弘明寺 武相不動尊18番御朱印
寺伝によると、721年(養老5年)にインドの僧・善無畏が当地に結界を創り、737年(天平9年)に行基が観音像を刻んで一宇を建立したと伝えられ、行基を以って開基としている。 弘仁年間(9世紀初期)には空海が双身歓喜天(弘明寺聖天)を彫刻し安置したという。 鎌倉時代には源将軍家累代の祈願所であった。 戦国時代には北条早雲から寺領を、江戸時代には歴代将軍から朱印地を賜り、坂東三十三箇所観音霊場の十四番札所として信仰を集めた。横浜市最古の寺院で御本尊十一面観音は重要文化財。
一休さん≪北鎌倉散策≫ [御朱印 鎌倉]
≪秋の北鎌倉散策≫
11月3日文化の日にイベント満載の北鎌倉へ行ってきました。
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≪円覚寺≫
円覚寺では毎年恒例の宝物風入れ、国宝円覚寺舎利殿の一般公開が開催
円覚寺門前
円覚寺 山門
円覚寺 仏殿
御本尊 宝冠釈迦如来像
正續院 舎利殿前の喧騒
拝観と特別御朱印の授与に列が出来てました。
国宝 円覚寺 舎利殿
お坊さんによる説明がありました。
正續院 梵鐘にておつとめ風景
仏日庵 開基廟(北条時宗公)
如意庵 特別公開
円覚寺 方丈
宝物風入れはこちらで行われてます。
絹本著色五百羅漢像 33幅 、絹本著色被帽地蔵菩薩像 、絹本著色虚空蔵菩薩像 、北条時宗書状、開山箪笥収納品(開山無学祖元所用の遺品)他多数の宝物が展示。
円覚寺御朱印
円覚寺ご朱印帳
円覚寺 御本尊
円覚寺 鎌倉地蔵尊
舎利殿 公開限定御朱印
仏日庵 御廟所
仏日庵 鎌倉観世音
仏日庵 鎌倉地蔵尊
円覚寺 宝物風入れ限定御朱印
円覚寺は山号を瑞鹿山と称し、瑞鹿山円覚興聖禅寺と号する。臨済宗円覚寺派の大本山である。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権北条時宗が元寇の戦没者追悼のため創建した。
≪長寿寺≫
北鎌倉の踏切を渡って巨福呂坂を建長寺に向かって行きますと、亀ケ坂の入口に長寿寺があります。季節限定で開放しているお寺さんです。以前から気になっていたのですが、今回初めて拝観いたしました。
特別公開
長寿寺 観音堂
足利尊氏公墓所
長寿寺 庭園
長寿寺 御本尊
長寿寺は、足利尊氏が邸跡に創建し、尊氏の第四子で鎌倉公方となった足利基氏が父の菩提を弔うため七堂伽藍を備えた堂宇を建立したという。
関東では「長寿寺殿」が尊氏の法名(京都では「等持院殿」。)。境内には尊氏の遺髪を埋めたとされる「やぐら」があり、五輪塔が建てられている。
≪建長寺≫
建長寺 総門
建長寺 山門(重文)
建長寺 山門 扁額「建長興国禅寺」
建長寺 仏殿(重文)
芝の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の御霊屋を建て替えに際し譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されている。
建長寺 御本尊 地蔵菩薩
建長寺 法堂(重文)
建長寺 法堂 天井画「雲龍図」
建長寺 法堂 千手観音坐像
建長寺 方丈 唐門(重文)
方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院御霊屋から移築した。
建長寺 方丈
建長寺 方丈 庭園 (夢窓疎石作)
建長寺 ご朱印帳
建長寺 御本尊
建長寺 観世音菩薩
建長寺 半僧坊大権現
建長寺 お大師様
建長寺 鎌倉地蔵尊 九番
建長寺 鎌倉地蔵尊 十番
建長寺 鎌倉地蔵尊 十一番
建長寺は臨済宗建長寺派の大本山である。山号を巨福山と称し建長興国禅寺という。建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山は南宋の禅僧蘭渓道隆。
御朱印めぐり(57) ≪お伊勢参り≫西浦不動・二見ヶ浦・伊勢神宮・熱田神宮・豊川稲荷 [御朱印 中部]
お伊勢参りの旅
西浦不動 無量寺
愛知県蒲郡市西浦町日中30
名鉄蒲郡線西浦駅から徒歩5分
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無量寺 本堂
無量寺 御朱印
無量寺は、ガン封じのお寺として有名です。
二見興玉神社
伊勢市二見町江575
JR二見浦駅下車徒歩20分
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二見ヶ浦
竜宮社 御朱印
二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社。境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られる。
猿田彦大神と宇迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)を祭神とする。
http://www.amigo2.ne.jp/~oki-tama/
豊受大神宮(伊勢神宮外宮)
三重県伊勢市豊川町
JR参宮線・近鉄山田線伊勢市駅より徒歩10分
外宮 斎館
外宮 正殿
別宮 土宮
豊受大神宮 御朱印
http://www.isejingu.or.jp/gegu/gegu.htm
皇大神宮(伊勢神宮内宮)
三重県伊勢市宇治館町1
伊勢市駅からバスで(近鉄・JR伊勢市駅または近鉄宇治山田駅・五十鈴川駅から外宮内宮循環バスに乗り停留所「内宮前」で下車)
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宇治橋
手水舎
内宮 斎館
内宮 正宮
内宮 荒祭宮
五十鈴川と宇治橋
皇大神宮 御朱印
皇大神宮(こうたいじんぐう)は日本国民の大御親神(おおみおやがみ)と崇められる皇祖・天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお祀りしています。
『日本書紀』によると、第11代垂仁天皇の26年(約2000年前)、倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大御神の御鎮座の地を求めて諸国を巡ったのち、「この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)の帰(よ)する国なり、かた国のうまし国なり、この国に居(お)らむとおもう」という大御神の声により、この伊勢の地に後鎮座されたと云われております。
http://www.isejingu.or.jp/naigu/naigu.htm
熱田神宮
名古屋市熱田区神宮1-1-1
地下鉄名城線 神宮西駅 徒歩7分/名鉄名古屋本線 神宮前駅 徒歩3分
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熱田神宮参道
熱田神宮 社殿
信長塀(桶狭間の合戦の勝利を祝って寄進した)
熱田神宮 御朱印
景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手許へ留め置いた。日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなった。
豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)
愛知県豊川市豊川町一番地
JR飯田線豊川駅下車、徒歩3分
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妙厳寺 本殿
霊狐塚
妙厳寺 奥の院
妙厳寺 三重塔
妙厳寺 法堂
妙厳寺 総門
妙厳寺荼枳尼天 御朱印
妙厳寺薬師如来 御朱印
妙厳寺千手観音 御朱印 (東海百観音霊場)
妙厳寺不動明王 御朱印(東海三十六霊場)
豊川稲荷(とよかわいなり)は、愛知県豊川市豊川町1番地にある曹洞宗の寺院である。
正式の寺号は妙厳寺、詳しくは円福山 豊川閣 妙厳寺と称する寺院であり、一般には「豊川稲荷」の名で広く知られる。本尊は千手観音。「稲荷」は鎮守として祀られる荼枳尼天(だきにてん)のこと。豊川稲荷は神社ではないものの、商売繁盛の神様として知られており、入口には鳥居が立っている。
日本三大稲荷の1つとされる。ただし三大稲荷の選定には諸説あり一定していないが、豊川稲荷では他の2箇所を伏見稲荷大社、祐徳稲荷神社としている。
御朱印めぐり(56) ≪信州 善光寺≫ [御朱印 長野]
善光寺
長野県長野市元善町491
長野駅→善光寺大門、所要時間約15分
善光寺 三門
善光寺 本堂
善光寺 経蔵
善光寺 御朱印(御開帳)
善光寺 御朱印(通常)
大勧進 大門
大勧進 萬善堂
大勧進 御朱印
大勧進 護摩堂
大勧進 御朱印 不動尊
善光寺 お数珠頂戴風景
善光寺 御詠歌
善光寺
善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市にある無宗派の寺院である。
山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持・運営されている。「大勧進」の住職は「貫主」と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めている。「大本願」は、大寺院としては珍しい尼寺である。住職は「善光寺上人」と呼ばれ、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職を迎えている。善光寺の住職は、「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。
日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている。また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済(女人救済)があげられる。
善光寺ホームページ
御朱印めぐり(55) ≪鎌倉4≫ [御朱印 鎌倉]
鎌倉特集4
高徳院 鎌倉大仏
鎌倉市長谷4-2-28
江ノ島電鉄長谷駅より徒歩10分
高徳院 御朱印
高徳院は、鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院。一般には「鎌倉大仏」の通称で知られる。本尊は「鎌倉の大仏」「長谷の大仏」と称される阿弥陀如来像(国宝)。山号は大異山。詳しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という。開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳である。
極楽寺
鎌倉市極楽寺3-6-7
江ノ島電鉄極楽寺駅より徒歩2分
極楽寺 御朱印
極楽寺 御朱印
極楽寺は、鎌倉市極楽寺にある真言律宗の寺院である。山号は霊鷲山(りょうじゅさん)。詳名を「霊鷲山感応院極楽律寺」と称する。本尊は釈迦如来。開基は北条重時、開山は忍性である。鎌倉では唯一の真言律宗。金堂、講堂などの伽藍以外に49の支院からなる大寺院であったが、その後台風や地震など天災や戦火で多くを消失した。
満福寺
鎌倉市腰越2-4-8
江ノ島電鉄腰越駅より徒歩3分
満福寺 御朱印
真言宗大覚寺派。開山は行基、中興開山は高範で、龍護山満福寺と称する。
奈良時代、聖武天皇に命ぜられ、この地で祈りを捧げたことで悪病の流行を鎮めた行基が744年に創建したのが始まり。
1185年に平家を滅ぼし凱旋してきた源義経は兄・頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを止められたため、満福寺に逗留したとされる。その際、頼朝の勘気を鎮めるために弁慶によって書かれた腰越状の下書きがこの寺に残っており、現在展示されている。また境内には「弁慶の手玉石」や、弁慶が腰掛けたとされる「弁慶の腰掛石」、腰越状を書くための墨をするために水を汲んだとされる「硯の池」などが残されている。
龍口寺
藤沢市片瀬3-13-37
江ノ島電鉄江ノ島駅から徒歩3分
龍口寺 御朱印
龍口寺は神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は寂光山。
かつて龍の口刑場があった場所。その思想を過激なものとして幕府の反感を買った日蓮聖人が捕えられ連行されたのだが、処刑直前、江の島の方から満月のような光が飛んできて斬首役人の目をくらませたとか、処刑に使われた刀に光がかかり三つに折れたとも伝えられる。結局、処刑は中止になったが、龍の口刑場で処刑を免れた者は歴史上、日蓮聖人以外誰もいないとされている。境内には連行された折に日蓮聖人が一晩を過ごした土牢が今も残る。
日蓮聖人入滅ののちに、直弟子だった日法聖人が1337年に寂光山龍口寺と称し寺を建立したのが始まりである。
大本堂と県内唯一の本式木造の五重塔は神奈川建築物百選に選定されている。