一休さん≪北鎌倉散策≫ [御朱印 鎌倉]
≪秋の北鎌倉散策≫
11月3日文化の日にイベント満載の北鎌倉へ行ってきました。
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≪円覚寺≫
円覚寺では毎年恒例の宝物風入れ、国宝円覚寺舎利殿の一般公開が開催
円覚寺門前
円覚寺 山門
円覚寺 仏殿
御本尊 宝冠釈迦如来像
正續院 舎利殿前の喧騒
拝観と特別御朱印の授与に列が出来てました。
国宝 円覚寺 舎利殿
お坊さんによる説明がありました。
正續院 梵鐘にておつとめ風景
仏日庵 開基廟(北条時宗公)
如意庵 特別公開
円覚寺 方丈
宝物風入れはこちらで行われてます。
絹本著色五百羅漢像 33幅 、絹本著色被帽地蔵菩薩像 、絹本著色虚空蔵菩薩像 、北条時宗書状、開山箪笥収納品(開山無学祖元所用の遺品)他多数の宝物が展示。
円覚寺御朱印
円覚寺ご朱印帳
円覚寺 御本尊
円覚寺 鎌倉地蔵尊
舎利殿 公開限定御朱印
仏日庵 御廟所
仏日庵 鎌倉観世音
仏日庵 鎌倉地蔵尊
円覚寺 宝物風入れ限定御朱印
円覚寺は山号を瑞鹿山と称し、瑞鹿山円覚興聖禅寺と号する。臨済宗円覚寺派の大本山である。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権北条時宗が元寇の戦没者追悼のため創建した。
≪長寿寺≫
北鎌倉の踏切を渡って巨福呂坂を建長寺に向かって行きますと、亀ケ坂の入口に長寿寺があります。季節限定で開放しているお寺さんです。以前から気になっていたのですが、今回初めて拝観いたしました。
特別公開
長寿寺 観音堂
足利尊氏公墓所
長寿寺 庭園
長寿寺 御本尊
長寿寺は、足利尊氏が邸跡に創建し、尊氏の第四子で鎌倉公方となった足利基氏が父の菩提を弔うため七堂伽藍を備えた堂宇を建立したという。
関東では「長寿寺殿」が尊氏の法名(京都では「等持院殿」。)。境内には尊氏の遺髪を埋めたとされる「やぐら」があり、五輪塔が建てられている。
≪建長寺≫
建長寺 総門
建長寺 山門(重文)
建長寺 山門 扁額「建長興国禅寺」
建長寺 仏殿(重文)
芝の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の御霊屋を建て替えに際し譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されている。
建長寺 御本尊 地蔵菩薩
建長寺 法堂(重文)
建長寺 法堂 天井画「雲龍図」
建長寺 法堂 千手観音坐像
建長寺 方丈 唐門(重文)
方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院御霊屋から移築した。
建長寺 方丈
建長寺 方丈 庭園 (夢窓疎石作)
建長寺 ご朱印帳
建長寺 御本尊
建長寺 観世音菩薩
建長寺 半僧坊大権現
建長寺 お大師様
建長寺 鎌倉地蔵尊 九番
建長寺 鎌倉地蔵尊 十番
建長寺 鎌倉地蔵尊 十一番
建長寺は臨済宗建長寺派の大本山である。山号を巨福山と称し建長興国禅寺という。建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山は南宋の禅僧蘭渓道隆。
御朱印めぐり(55) ≪鎌倉4≫ [御朱印 鎌倉]
鎌倉特集4
高徳院 鎌倉大仏
鎌倉市長谷4-2-28
江ノ島電鉄長谷駅より徒歩10分
高徳院 御朱印
高徳院は、鎌倉市長谷にある浄土宗の寺院。一般には「鎌倉大仏」の通称で知られる。本尊は「鎌倉の大仏」「長谷の大仏」と称される阿弥陀如来像(国宝)。山号は大異山。詳しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)という。開基(創立者)と開山(初代住職)はともに不詳である。
極楽寺
鎌倉市極楽寺3-6-7
江ノ島電鉄極楽寺駅より徒歩2分
極楽寺 御朱印
極楽寺 御朱印
極楽寺は、鎌倉市極楽寺にある真言律宗の寺院である。山号は霊鷲山(りょうじゅさん)。詳名を「霊鷲山感応院極楽律寺」と称する。本尊は釈迦如来。開基は北条重時、開山は忍性である。鎌倉では唯一の真言律宗。金堂、講堂などの伽藍以外に49の支院からなる大寺院であったが、その後台風や地震など天災や戦火で多くを消失した。
満福寺
鎌倉市腰越2-4-8
江ノ島電鉄腰越駅より徒歩3分
満福寺 御朱印
真言宗大覚寺派。開山は行基、中興開山は高範で、龍護山満福寺と称する。
奈良時代、聖武天皇に命ぜられ、この地で祈りを捧げたことで悪病の流行を鎮めた行基が744年に創建したのが始まり。
1185年に平家を滅ぼし凱旋してきた源義経は兄・頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを止められたため、満福寺に逗留したとされる。その際、頼朝の勘気を鎮めるために弁慶によって書かれた腰越状の下書きがこの寺に残っており、現在展示されている。また境内には「弁慶の手玉石」や、弁慶が腰掛けたとされる「弁慶の腰掛石」、腰越状を書くための墨をするために水を汲んだとされる「硯の池」などが残されている。
龍口寺
藤沢市片瀬3-13-37
江ノ島電鉄江ノ島駅から徒歩3分
龍口寺 御朱印
龍口寺は神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は寂光山。
かつて龍の口刑場があった場所。その思想を過激なものとして幕府の反感を買った日蓮聖人が捕えられ連行されたのだが、処刑直前、江の島の方から満月のような光が飛んできて斬首役人の目をくらませたとか、処刑に使われた刀に光がかかり三つに折れたとも伝えられる。結局、処刑は中止になったが、龍の口刑場で処刑を免れた者は歴史上、日蓮聖人以外誰もいないとされている。境内には連行された折に日蓮聖人が一晩を過ごした土牢が今も残る。
日蓮聖人入滅ののちに、直弟子だった日法聖人が1337年に寂光山龍口寺と称し寺を建立したのが始まりである。
大本堂と県内唯一の本式木造の五重塔は神奈川建築物百選に選定されている。
御朱印めぐり(54) ≪鎌倉3≫ [御朱印 鎌倉]
鎌倉特集3
荏柄天神社
鎌倉市二階堂74
鎌倉駅から京急バス。[鎌20・4番]大塔宮行き 天神前下車 徒歩3分
荏柄天神社 御朱印
1104年、この地に天神の霊が降臨し、人々により祀られたのが始まり。後に鎌倉幕府の鬼門鎮守の社として崇められた。また学問の神様、菅原道真を祀り合格祈願でも有名。京都の北野天満宮、九州の大宰府天満宮とならび日本三大天神といわれる。相殿に八雲大神、熊野山柱神を祀る二階堂区の氏神社。
http://www1.kamakuranet.ne.jp/egara/
鎌倉宮
鎌倉市二階堂154
鎌倉駅から京急バス。[鎌20・4番]大塔宮行き 大塔宮下車
鎌倉宮 御朱印
後醍醐天皇の皇子、護良親王を祀る。明治天皇の勅命により1869年創建。大塔宮ともいう。境内は東光寺跡。護良親王は鎌倉幕府の倒幕し、征夷大将軍となるも足利尊氏によって捕らえられ、鎌倉東光寺の土牢(本殿背後に残存)へ幽閉される。その後、9ヶ月の幽閉の末、1335年に尊氏の弟、直義によって暗殺される。
瑞泉寺
鎌倉市二階堂710
鎌倉駅から京急バス。[鎌20・4番]大塔宮行き 大塔宮下車 徒歩10分
瑞泉寺 御朱印
1327年創建の臨済宗円覚寺派の寺。山号は錦屏山(きんぺいさん)。本尊は釈迦如来で開基は鎌倉幕府の重臣だった二階堂道蘊(どううん)、開山は夢窓疎石(むそうそせき)といわれる。のちに最初の鎌倉公方となる足利基氏によって瑞泉寺と改められた。
本堂裏に残る、鎌倉に現存する唯一の鎌倉期の庭園は、夢窓疎石作の名園として名高い。鎌倉随一の花の寺、紅葉の名所としても知られている。
杉本寺
鎌倉市二階堂903
鎌倉駅から京急バス。[鎌23・5番]太刀洗行き、[鎌24・5番]金沢八景行き、[鎌36・5番]ハイランド行き 杉本観音 下車 徒歩1分
杉本寺 御朱印
杉本寺は、鎌倉市二階堂にある天台宗の寺院。山号は大蔵山。本尊は十一面観音で、坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所の第1番札所である。創建は鎌倉幕府以前の734年と伝わる鎌倉最古の寺、開山は行基(ぎょうき)。その後985年に横川恵心僧都(えしんそうず)が十一面観音を杉本寺に納めたといわれる。1189年、火事で観音堂は焼失したが、十一面観音は火中より無事に持ち出された。その際火中に入った人物も焼けども負わなかったという逸話を残す。
1191年(建久2年)には源頼朝がこの寺を再興したという。この寺の背後にはかつて杉本城があり、足利方の武将で鎌倉府執事を務めた斯波家長がこの城に拠ったが、南朝方の北畠顕家に攻められ、この寺で自害している。
妙本寺
鎌倉市大町1-15-1
鎌倉駅東口より徒歩7分
妙本寺 御朱印
鎌倉時代に比企一族が住んでいたことから、この辺りを比企が谷といい、そこに建てられたのが妙本寺。山号は長興寺という。全国の日蓮宗寺院のなかでは身延山久遠寺、池上本門寺とならんで最古の寺。「比企の乱」で北条に滅ぼされた後、京都にいて生き延びた能員の末子・比企大学三郎能本が、一族の菩提を弔うために建立した。
祖師堂は建長寺の仏殿と並ぶ、鎌倉最大級の木造建築。
陀苦止堂には、比企能員の娘で鎌倉幕府2代将軍源頼家に嫁いだ若狭局が祀られている
安養院
鎌倉市大町3-1-22
鎌倉駅東口より徒歩12分
安養院 御朱印
安養院は、鎌倉市大町にある浄土宗の寺院。山号は祇園山。寺号は長楽寺。本尊は阿弥陀如来。千手観音(田代観音)を安置し、坂東三十三箇所・鎌倉三十三箇所第3番札所である。
この寺の歴史には、長楽寺・善導寺・田代寺という3つの前身寺院が関係している。長楽寺は、1225年(嘉禄元年)北条政子が夫である源頼朝の菩提を弔うため長谷笹目ヶ谷(はせささめがやつ、鎌倉文学館付近)に願行を開山として創建した寺と伝えられる。山号を祇園山と号し、律宗の寺院であった。長楽寺は1333年(元弘元年)兵火により焼失し、大町にあった善導寺に統合され安養院長楽寺と号した。なお、安養院は政子の法号から取られたものである。一方、田代寺は1192年(建久3年)田代信綱が尊乗を開山として比企ヶ谷(ひきがやつ)に建立したのに始まると伝えられ、江戸時代になって安養院に統合された。千手観音は田代寺にあったもので、田代観音とも称されている。
安国論寺
鎌倉市大町4-4-18
鎌倉駅より徒歩13分
安国論寺 御朱印
安国論寺は鎌倉市大町(名越)にある日蓮宗の寺院。山号は妙法蓮華山。旧本山は比企谷妙本寺。池上・土富店法縁。長勝寺・妙法寺と並び日蓮の鎌倉での布教の中心となった松葉ヶ谷草庵跡とされ、松葉ヶ谷霊跡安国論寺とも言う。日蓮が鎌倉入りして最初に道場を興した岩窟がもととなり、現在の安国論寺となった。この岩窟で『立正安国論』を書いたともいわれており、開山は日蓮とされるが、この跡地に弟子の日朗が安国論窟寺としたのが始まり。
日蓮は20年にわたってここに滞在し、布教活動を行なった。境内一円を「松葉が谷」と称し、松葉が谷焼討法難の跡となる南面窟、硯の井戸などがある。境内には木造稲荷明神騎狐像を本尊とする熊王稲荷大明神尊殿や日朗上人御茶毘所もある。
御朱印めぐり(53) ≪鎌倉2≫ [御朱印 鎌倉]
鎌倉特集2 北鎌倉
東慶寺
鎌倉市山ノ内1367
北鎌倉駅より徒歩4分
東慶寺 御朱印
東慶寺(とうけいじ)は、鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は詳しくは東慶総持禅寺と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条貞時、開山(初代住職)は覚山尼(かくさんに)である。北条時宗夫人だった覚山尼が時宗の没した翌年1285年に出家し開創。
東慶寺は、近世を通じて群馬県の満徳寺と共に「縁切寺(駆け込み寺)」として知られていた。江戸時代、離婚請求権は夫の側にしか認められていなかったが、夫と縁を切りたい女性は、当寺で3年(のち2年)の間修行をすれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があった。幕府公認の縁切寺として、江戸から多くの女性が東慶寺を目指した。ただし、女性が駆け込んできてもすぐには寺に入れず、まずは夫婦両者の言い分を聞いて、夫が離縁状(いわゆる「三下り半」)を書くことに同意すれば、すぐに離婚が成立したという。また、実際には離婚に至らず、調停の結果、復縁するケースも多かったという。この制度は、女性からの離婚請求権が認められるようになる明治6年(1872年)まで続いた。
円覚寺
鎌倉市山ノ内409
北鎌倉駅より徒歩1分
円覚寺 御朱印
臨済宗円覚寺派の総本山、鎌倉五山第二位。開基は北条時宗、開山仏光国師無学祖元。1282年、蒙古襲来による死者を敵味方の区別なく弔おうと、北条時宗が無学祖を招き創建された。円覚寺は建立の際に大乗経典の「円覚経」が出土したことから、山号瑞鹿山の由来は開山国師が仏殿開堂落慶の際、法話を聞こうとして人々に混ざり白鹿が集まったというエピソードから瑞鹿山(めでたい鹿のおやま)と名づけられたと言われる。境内は全域国指定史跡。
円覚寺 仏日庵
円覚寺仏日庵 御朱印
開基北条時宗を祀る塔頭寺院で、時宗はここに庵をむすび禅の修業を行った。境内には北条時宗・貞時・高時の木像を安置する開基廟がある。十一面観音坐像(鎌倉観音霊場第三十三番)が廟所に安置されている。本堂には地蔵菩薩坐像(鎌倉地蔵霊場十四番)と鶴隠周音の木像が安置されている。
建長寺
鎌倉市山ノ内8
北鎌倉駅より徒歩15分
建長寺 御朱印
建長寺は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山である。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)という。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山は南宋の禅僧蘭渓道隆で、鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。
円応寺
鎌倉市山ノ内1543
北鎌倉駅より徒歩15分
円応寺 御朱印
臨済宗建長寺派。昔は新居閻魔堂(あらいえんまどう)という名前のお堂で由比郷や海浜近くにあったが、1703年の地震と津波でお堂が壊れてしまい、現在地に移された。本堂には鎌倉時代の仏師、運慶(うんけい)作の閻魔大王像を中心に、死後の裁判を司るといわれる十王像が並ぶ。
明月院
鎌倉市山ノ内189
北鎌倉駅より徒歩10分
明月院 御朱印
明月院は、鎌倉市にある臨済宗建長寺派の寺院。山号を福源山と称する。本尊は聖観音、開基は上杉憲方、開山は密室守厳(みっしつしゅごん)である。アジサイの名所として知られ、「あじさい寺」の通称がある。
御朱印めぐり(52) ≪鎌倉1≫ [御朱印 鎌倉]
鎌倉特集1 鎌倉 扇が谷
寿福寺
鎌倉市扇ガ谷1-17-7
鎌倉駅西口より徒歩10分
寿福寺 御朱印
寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院である。鎌倉五山第3位の寺院である。山号を亀谷山(きこくさん)と称し、寺号は詳しくは金剛寿福禅寺という。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。やぐら(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔がある
英勝寺
鎌倉市扇ヶ谷1-16-3
鎌倉駅西口より徒歩11分
英勝寺 御朱印
鎌倉で唯一現存する尼寺。寺域は太田道灌の旧跡で、この地域を「扇ガ谷」と呼ぶ。創建は水戸中納言頼房の准母である英勝院尼。英勝院尼は太田道灌四代康資の息女で、徳川家康に仕え、「お勝の方」として知られる人。
海蔵寺
鎌倉市扇ガ谷4-18-8
鎌倉駅西口より徒歩20分
海蔵寺 御朱印
海蔵寺は臨済宗建長寺派の寺である。この寺は、建長五年(1253)に鎌倉幕府六代将軍宗尊親王の命によって、道知禅師が願主となって建立したが、鎌倉滅亡の際の兵火によって全焼してしまった。室町時代の応永元年(1394)になって、関東菅領・足利氏満の命により執事の山内上杉憲定が再興。
佐助稲荷社
鎌倉市佐助2-22-12
鎌倉駅より徒歩25分
佐助稲荷社 御朱印
銭洗弁財天同様に、佐助稲荷神社も源頼朝が夢の中で見たお告げに由来する。鎌倉幕府を興す前、夢の中で神霊である翁が頼朝に旗揚げを薦め、それに従い鎌倉幕府を開くに至る。幼少のころ「左殿」と呼ばれていた頼朝を助けたため「佐助」と名づけられた
銭洗弁財天 宇賀福神社
鎌倉市佐助2-25-16
鎌倉駅から徒歩20分
銭洗弁財天 御朱印
鎌倉に幕府を開いた源頼朝が夢に見たお告げに従い、この地に泉を見つけ宇賀神様を祀ったことが始まりといわれている。この泉から湧き出る銭洗井水でお金を洗うと何倍にも増えると伝わるが、本来は心身を洗い清めることで心構えができ信仰が深まるによって福を得ることができると言われている。銭洗井水は鎌倉五名水の一つに数えられる
葛原岡神社
鎌倉市梶原5-9-1
鎌倉駅から徒歩30分
葛原岡神社 御朱印
葛原岡神社は、後醍醐天皇の側近・日野俊基を祀る神社です。明治天皇が日野俊基に従三位を贈り、地元有志と全国の崇敬者の協力により明治20年(1887)に創建されました。神社の南側に日野俊基の墓があります。日野俊基は鎌倉幕府の倒幕の謀議に加わり、正中の変(1324)で捕らえられ許されたが、元弘の変(1331)で再度捕らえられ、翌年ここで処刑された。辞世の句「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらむ」を残しています。