御朱印めぐり(53) ≪鎌倉2≫ [御朱印 鎌倉]
鎌倉特集2 北鎌倉
東慶寺
鎌倉市山ノ内1367
北鎌倉駅より徒歩4分
東慶寺 御朱印
東慶寺(とうけいじ)は、鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は詳しくは東慶総持禅寺と称する。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は北条貞時、開山(初代住職)は覚山尼(かくさんに)である。北条時宗夫人だった覚山尼が時宗の没した翌年1285年に出家し開創。
東慶寺は、近世を通じて群馬県の満徳寺と共に「縁切寺(駆け込み寺)」として知られていた。江戸時代、離婚請求権は夫の側にしか認められていなかったが、夫と縁を切りたい女性は、当寺で3年(のち2年)の間修行をすれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があった。幕府公認の縁切寺として、江戸から多くの女性が東慶寺を目指した。ただし、女性が駆け込んできてもすぐには寺に入れず、まずは夫婦両者の言い分を聞いて、夫が離縁状(いわゆる「三下り半」)を書くことに同意すれば、すぐに離婚が成立したという。また、実際には離婚に至らず、調停の結果、復縁するケースも多かったという。この制度は、女性からの離婚請求権が認められるようになる明治6年(1872年)まで続いた。
円覚寺
鎌倉市山ノ内409
北鎌倉駅より徒歩1分
円覚寺 御朱印
臨済宗円覚寺派の総本山、鎌倉五山第二位。開基は北条時宗、開山仏光国師無学祖元。1282年、蒙古襲来による死者を敵味方の区別なく弔おうと、北条時宗が無学祖を招き創建された。円覚寺は建立の際に大乗経典の「円覚経」が出土したことから、山号瑞鹿山の由来は開山国師が仏殿開堂落慶の際、法話を聞こうとして人々に混ざり白鹿が集まったというエピソードから瑞鹿山(めでたい鹿のおやま)と名づけられたと言われる。境内は全域国指定史跡。
円覚寺 仏日庵
円覚寺仏日庵 御朱印
開基北条時宗を祀る塔頭寺院で、時宗はここに庵をむすび禅の修業を行った。境内には北条時宗・貞時・高時の木像を安置する開基廟がある。十一面観音坐像(鎌倉観音霊場第三十三番)が廟所に安置されている。本堂には地蔵菩薩坐像(鎌倉地蔵霊場十四番)と鶴隠周音の木像が安置されている。
建長寺
鎌倉市山ノ内8
北鎌倉駅より徒歩15分
建長寺 御朱印
建長寺は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山である。山号を巨福山(こふくさん)と称し、寺号は詳しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)という。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山は南宋の禅僧蘭渓道隆で、鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。
円応寺
鎌倉市山ノ内1543
北鎌倉駅より徒歩15分
円応寺 御朱印
臨済宗建長寺派。昔は新居閻魔堂(あらいえんまどう)という名前のお堂で由比郷や海浜近くにあったが、1703年の地震と津波でお堂が壊れてしまい、現在地に移された。本堂には鎌倉時代の仏師、運慶(うんけい)作の閻魔大王像を中心に、死後の裁判を司るといわれる十王像が並ぶ。
明月院
鎌倉市山ノ内189
北鎌倉駅より徒歩10分
明月院 御朱印
明月院は、鎌倉市にある臨済宗建長寺派の寺院。山号を福源山と称する。本尊は聖観音、開基は上杉憲方、開山は密室守厳(みっしつしゅごん)である。アジサイの名所として知られ、「あじさい寺」の通称がある。
円覚寺、自宅から徒歩20分、
明月院、同じく25分
建長寺、同じく30分
くらいですか・・
モロに地元(^^;)
by あき坊 (2011-07-29 08:55)
散歩コースにどうぞ・・・円覚寺・建長寺は子院が沢山あってそこも御朱印が戴けるそうですが訪ねたことないんですよね。
by ムーミンパパ (2011-07-29 09:20)