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御朱印めぐり(50) ≪身延山 久遠寺≫ [御朱印 関東]

≪身延山 久遠寺≫ 日蓮宗総本山

[位置情報]山梨県南巨摩郡身延町身延3567

 


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久遠寺 本堂 

間口32メートル、奥行51メートル。一度に2,500人の法要を奉行できる。

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久遠寺 祖師堂 

日蓮聖人の神霊を祀る堂閣。「棲神閣」と称する。

明治14年、江戸にあった寺院のお堂を移築再建した。

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久遠寺 仏殿

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日蓮上人 御真骨堂 拝殿

堂内には日蓮聖人の御真骨を奉安する。

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久遠寺 客殿

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久遠寺 客殿 内庭

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久遠寺 五重塔

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久遠寺 御朱印

 文永11年(1274年)、甲斐国波木井郷の地頭南部六郎実長佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招き西谷の地に草庵を構え、法華経の読誦・広宣流布及び弟子信徒の教化育成、更には日本に迫る蒙古軍の退散、国土安穏を祈念した。

弘安4年(1281年)に十間四面の大坊が整備され、日蓮によって「妙法華院身延山久遠寺」と名付けられたという。日蓮は弘安5年(1282年)9月に湯治療養のため常陸(加倉井)の温泉と小湊の両親の墓参りに向かうため久遠寺を下山し、途中、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)に滞在して六人の弟子を決め「六老僧」同地で死去(弘安五年十月十三日)し、日蓮の遺言「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」に従い遺骨は身延山に祀られた。足かけ九か年の生活であった。

日蓮の身延山での生活は日蓮遺文に記されており、「人は無きときは四十人、ある時は六十人」とあるようにこのような人数で生活をしていたと考えられている。各地の信徒より生活必需品が多く届けられ、日蓮はこの身延山をインドの霊鷲山を移した山であると示し信仰の山として位置づけている。身延山での生活で遺文の三分の二が執筆されており、日蓮真筆の曼荼羅もほとんどがここ身延山で手がけられている。身延山は日蓮教団における唯一の聖地であると位置づけられており、日蓮の遺骨は歴代の法主(住職)により日蓮の遺言通り今日まで護られている。

 久遠寺ホームページ

 http://www.kuonji.jp/


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Everett

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